2004年 11月 11日
追憶・ダブリン |
私は、2002年の4月から2004年の4月までの二年間、ほとんど毎日日記を書いていた。
イギリスのブリストルで語学留学をしていた私は、毎日好きな事を、風の向くまま、気の向くまま、ぶらぶらとし、ストレスとは無縁の生活を送っていた。とは言っても、時間はあれど貧乏な学生暮らし、それなりに大変なことはたくさんあったけれども。そんな毎日を綴っていた。
今回また日記を書き始めるにあたって、去年の日記をひっぱりだし、昨年の今、私は何をしていたのか見てみた。2003年11月11日(火)、私はアイルランドのダブリンにいた。2泊3日の短い滞在だったけれど、ギネスのストアハウスや、トリニティカレッジ、ナショナルギャラリー(とってもモダン!カフェもよい)、セントパトリック大聖堂 etcの名所を一通り眺め、一足早くダブリン入りしていたイギリス人の友人と共に、市内を散策したり、パブをはしごしてギネスを飲み比べたりして、楽しんだ。stスティーブンスグリーン(公園)の、紅葉の美しかったこと!街中ではもう、クリスマスの飾りがちらほらと。
当然のことながら、アイルランドはイギリスととてもよく似ていて、でもやはりどことなくよその国のようで、滞在中私はずっと不思議な感覚に覆われた。着いてまず最初に、あぁアイルランドだな~と思わせたのは、郵便ポスト。あのグリーンは、すごく好きな色だな。
滞在2日目の夜、オコンネルストリートにある映画館で、封切されたばかりのIn Americaを見た。アメリカに移住した、アイルランド人一家の話。貧しいながらも日々の暮らしをたくましく、そして創造的にする様はとても心地よいものだったし(インテリアと、サマンサ・モートンの着こなしが!!!)、主演の女の子二人もかわいらしく、私はもう大満足だった。あの女の子達は、実生活でも姉妹なんだってね。
映画館は大入の満員で、アイリッシュ一家の話ということもあってか、終了後は割れんばかりの拍手喝采。映画館でこういうことって、日本ではまずないよねぇ。おじいちゃん、おばあちゃんが多かったこともなんだか良かったな。私のダブリンの思い出は、アイリッシュグリーンと、In America。それと、ギネスね。
おまけの話としては、ブリストルへ帰るためダブリン空港で飛行機を待っていたら、スペイン人の友達にバッタリ会う、という偶然があった。イギリスは狭いが、ヨーロッパも狭い。
イギリスのブリストルで語学留学をしていた私は、毎日好きな事を、風の向くまま、気の向くまま、ぶらぶらとし、ストレスとは無縁の生活を送っていた。とは言っても、時間はあれど貧乏な学生暮らし、それなりに大変なことはたくさんあったけれども。そんな毎日を綴っていた。
今回また日記を書き始めるにあたって、去年の日記をひっぱりだし、昨年の今、私は何をしていたのか見てみた。2003年11月11日(火)、私はアイルランドのダブリンにいた。2泊3日の短い滞在だったけれど、ギネスのストアハウスや、トリニティカレッジ、ナショナルギャラリー(とってもモダン!カフェもよい)、セントパトリック大聖堂 etcの名所を一通り眺め、一足早くダブリン入りしていたイギリス人の友人と共に、市内を散策したり、パブをはしごしてギネスを飲み比べたりして、楽しんだ。stスティーブンスグリーン(公園)の、紅葉の美しかったこと!街中ではもう、クリスマスの飾りがちらほらと。
当然のことながら、アイルランドはイギリスととてもよく似ていて、でもやはりどことなくよその国のようで、滞在中私はずっと不思議な感覚に覆われた。着いてまず最初に、あぁアイルランドだな~と思わせたのは、郵便ポスト。あのグリーンは、すごく好きな色だな。
滞在2日目の夜、オコンネルストリートにある映画館で、封切されたばかりのIn Americaを見た。アメリカに移住した、アイルランド人一家の話。貧しいながらも日々の暮らしをたくましく、そして創造的にする様はとても心地よいものだったし(インテリアと、サマンサ・モートンの着こなしが!!!)、主演の女の子二人もかわいらしく、私はもう大満足だった。あの女の子達は、実生活でも姉妹なんだってね。
映画館は大入の満員で、アイリッシュ一家の話ということもあってか、終了後は割れんばかりの拍手喝采。映画館でこういうことって、日本ではまずないよねぇ。おじいちゃん、おばあちゃんが多かったこともなんだか良かったな。私のダブリンの思い出は、アイリッシュグリーンと、In America。それと、ギネスね。
おまけの話としては、ブリストルへ帰るためダブリン空港で飛行機を待っていたら、スペイン人の友達にバッタリ会う、という偶然があった。イギリスは狭いが、ヨーロッパも狭い。
by tahtijapan
| 2004-11-11 21:22
| 海外(旅・文化)